愛ある変化が起こります♪

【プロフ】生まれてからセラピストになるまで

 

 

昭和のある日、

ある田舎の本家の長女(第一子)として生まれる。

出生体重 2800g

母の胎内で横位になっていたため、帝王切開にて出生。

生後2~3日は保育器育ち。

哺乳瓶でミルク(主成分牛さんのお乳)育ち。

私を出産し、母に面会に来た父は、

「お前が ここで(予定外の)帝王切開なんかするから、オレが既婚者だということが、(ここで働いている)彼女にバレたじゃないか!」と怒られたらしい。

そして私は、こんな背景の家庭で育ってみたかったのではないか?と思う。

こんな家庭環境で育ったら、どのように成長して、どんな大人になるのか、実験&体験してみたかったような気がする。

” 素直で手のかからない大人しい子だ ”  と、母の育児日誌に書いてある。

そして母は、しょっちゅう実家に帰っていたらしい。

ウツ状態だったのではないだろうか…?、と推測してしまう。

私が、子ども時代に知っている母や、写真の中の美しい母は、どれも暗い表情だったし、オーラは重く、言葉数も少なかった。そして 時々、感情失禁もあった。

そして私が1歳の頃、足にヤケドを負う。

母の実家にて、私が楽しそうに遊んでいた “お湯入りのポット” が倒れたためだという。

そして、ヤケドを負った私を家へ連れ帰った母は、(恐らく)酷く怒られたらしく…、私を置いて、実家にしばらく帰ってしまっていたらしい。ぐずる私を祖母が面倒みていた、と、嫁嫌いだった祖母から聴く。足のヤケドの跡は ややケロイド状になるも さほど大事に至らずに済む。

そして幼少期、私は 箱入り娘のように育つ。

家は、兼業農家をしていた。

入園前。

他の子どもと接することはほとんどなく、たまに 1つ上の従兄弟と遊ぶか、隣の7~8才年上のお姉さんに遊んでもらうくらい。

遊びは、泥んこ遊び、ぶらんこ、ぬいぐるみや人形とままごと、猫と遊ぶ、童謡のレコードをかけてもらう、鏡を見る、等々。

幼少期から中高生くらいまで、祖母から毎日のように言われた言葉。

「婿さんもらって、家の跡取りになれ!」

幼児期、毎朝、毎晩、父がわたしの耳元で囁きつづけた言葉。

「井戸に近寄っちゃダメだよ。庭の外に出ちゃダメだよ。外の便所は近づいたらダメだよ。お便所は一人で入ったらダメだよ。火で遊んじゃダメだよ。一人で田んぼに行くんじゃないよ…etc」

保育園時代(年少・年中)

集団にまったく馴染めず…。担任の先生は二人いたも、話し掛けられた記憶や、会話した記憶はほとんどなく、いつも一人で庭の土ほじり。たまに私は、お漏らししていたらしく、無表情の先生が無言で、パンツ片手に立っている光景を覚えている(ちなみにおねしょは小学4年生まで。おねしょが止まると同時頃から、白髪が生え始める)。

そして、集団に馴染めない私を気に掛けてくれたのは、園長先生だけであったと記憶している(園長先生の保育への参加は、遠足時のみ)。

そして、この保育園、私の小学生時代の記憶では火事で消滅したことになっていた。

幼稚園時代(年長)

大人の事情で、保育園から幼稚園に転園する。マツザキ君と言う 若干いじめっ子や、エバ君という超いじめっ子もいるけれど、とても楽しい日々。

週に一度、オルガンを習う日があり、私は楽しくて、いつもふざけて歌っては、N先生に怒られていた。それから椅子に頭を突っ込んで、抜けなくなって、園長先生が来たりして、ちょっとした騒動になった記憶あり。他に、宇宙旅行とロボットがテーマの劇では、床を指差して、『ほら!火星が見える!』という台詞を言う役をやったが、練習のときのN先生はちょっと怖かったことを記憶している。

当時の園児らのマイブームは、みんな「ロボコン」。私は、一日中つま先立ちして歩き、ロビンちゃんになり切っており、いつもロビンちゃん役をやっていた。

お昼寝時間に、友だちとお尻を出してふざけ合っていて、外に出されたことあり。

クレヨンの赤と青を画用紙に重ねて塗るた色(紫色)になるのがとっても不思議に感じて、何とも言えない感覚をいつも味わっていた。それから、ねんどを伸ばして、端っこをつぶして、丸めて、バラの花を作るのが好きだった。油ねんどの臭いはキライ。

遊び過ぎて、気付いたら、帰りのバスが出発していて、先生に自宅まで送ってもらったことが何度かあり。

幼稚園に行けば超楽しいけれど、朝起きるのはイヤ。たまに、掛け布団を剥がされるのを全力で阻止していたが、そんな日に限って、日曜日…、ということが何度かあった。

卒園式の時、いじめっ子のエバ君と、初めて仲良く話し、一緒に写真を撮ってもらう。(マツザキくんとは中学入学で再会。やはり微妙な男子に思えた。)

卒園式のお別れの時、どうして担任のN先生が泣いていているのか、その時は解らなかったが、今思えば、思い出の詰まった濃い1年間で、先生はすごく私たちを可愛がってくれたな~、って…。N先生に感謝。

その他、子ども時代

ピカピカの泥だんご作り、足漕ぎ4輪車、三輪車、外のトイレ前の鉄棒、三輪車を逆さまにした焼芋屋さん遊びをしたり、塗り絵をしたり…。

そして、庭の厠前に植えられていた黄色い薔薇や、水仙の花の甘い香りを嗅ぐことや、大きなボタンの花のしょうがのような香りを嗅いだりするのが好きだった。

紫陽花の葉っぱと泥でおにぎりをよく作っていた。虫を捕まえて遊んでいた。ビッケごっこ、アルプスの少女ハイジごっこ、ウルトラマンを毎週みていた。自転車は、純白の仮面ライダー自転車。(世代がわかっちゃいますね… ^ ^;)

小学生時代

入学してしばらくは、授業中に自ら発言するくらいな明るい子だった。

しかし、T.Hさんという、クラスの子の影響で、だんだん自分らしさを表に出せないような感じになっていく。仲良しの友だちもいて、一人ぼっちではなかったけれど、図書室へ通うのが好きだった。それから、教室に貼ってある五十音のポスター、ひらがなの音の並び加減のことをとっても不思議に感じていた。

妹が生まれて、だんだん大きくなるに連れ、毎日のように ウソ泣きする妹と、「お姉ちゃんなんだから」と私を叱る父と祖母…。母は仕事で不在なことが多かった。

それから、私は物心ついたときから、母に甘えた記憶がほとんどなかった。母のもの悲し気な空気を読んでしまい、遠慮して甘えることが出来なかった。ミルク育ちで、育児を「姑に取られていた」と後に母に聞かされたこともあり、母とのアタッチメントは最初から相当希薄だったのでは?とも考えられる。

しかし、そんな私とは真逆で、母が夕食に関する仕事をすべて終え、着席したとたんに、ベタベタと甘えまくり、母の胸までネチネチと触る妹…。何も抵抗しない母。そして、それは、妹が成人してからも続いていた。普通分娩の母乳育ちというのも、影響しているのだろうか…? 心理的なやり取りも、深い部分で 色々とありそうであるが…。

そして当時は、母に甘える妹に対して、『羨ましい。私も妹みたいに甘えたい』という、自分自身のの “本心” が全くわからず、妹を思いやったり可愛がるという感情はあまり湧かず、妹を結構いじめる。お菓子をとったり、嫌がることをしたり、叩いたり…。

それから、私は捨て猫に出逢うと、いつも家に連れ帰って来ていた。一人ぼっちの仔猫と自分の姿が被っていたのだろうか? でも、すぐに母に見つかって、私が学校に行っている間に、遠くに捨てられてしまっていた。

それから 家には猟犬がいて、私が人間の残り物を毎晩あげていたが、その犬さんのことも微妙にいじめていた記憶あり…。梅干しとか、嫌なものを食べさせようとしたり…。

その他に、チャボ、ウサギ、九官鳥がいて、ウサギと九官鳥に日々、癒される。特に九官鳥のキューちゃんは、毎晩、私の手の中で眠ったり(朝は、私の手は出ていて、キューちゃんは、入り口が開けっぱでも、カゴの中の別の場所で寝ている)….、そしてある日、ある事故で、キューちゃんが 庭の10mくらい先にバタバタと飛んでいってしまったことがあるが、呼ぶと、飛んで戻って来てくれたというエピソードもある…。

本当に、このキューちゃんが最悪と思える暗黒の小学生時代を救ってくれていた。命の恩人(恩鳥?)であった。その当時、家族全員が不満と怒りに満ちていた感じだったし、学校ではT.Hさんの遠い親戚がクラスの担任となり、その結果、T.Hさんとその仲間の行動はより陰湿になっていたし、クラス全体の雰囲気も暗く、私が死なない理由は、キューちゃんの存在だけであった…。

中学生時代

待ちに待った中学生!  小学校のクラスの人たちが散らばったことが嬉しくて、バラ色に思えた3年間。

とは言え、白髪の多かった私の頭を母が染め出して…。当時は、ヘアカラーで黒く染めても、光に当たると赤茶色になった。そして、そのことで、クラスで会議になったり、いきなり、ソフトボール部全員がいる場所で呼び止められて、怖い風貌の先輩から、何で赤茶の髪色なのかを聞かれたりして…。

好きで赤茶色にしているのじゃないのに、そんな目で見られて、結構悲しい思いをする。当時、リアルに金八先生(新八?)が放映されており、流行語は「腐ったミカン」だったし、校則の規定から外れたときの先生からの扱いは容赦なかく、ここら辺から、私の中に、「正しいって何さ?!」みたいな何かが 芽生え、真実を追究して行くようになった様な気がする。

その他、帰宅する度に、父から謂れのない、殴る蹴るの暴力がしばらく(1~2年以上?!)続いた日々があって…。

父は、今でもリンゴをパカって半分に割るほどの握力の持ち主で、体力テストで県でいつも1位をとるほど、力も強いし、足も速いし…、私はいつか、自分が暴行死に至るのではないかという、死の恐怖と隣り合わせにいた。

警察にも連絡しようと何度も考えるが、警察には、父の知り合いがいるし、駐在所のお巡りさんは、うちにたまに来て、父と親しく話しているし、私の訴えは、誰も信じてくれないと諦めていた。暴力の被害者って、自分から声を上げることは、本当に困難なのだ。これ、被害者の立場に立たないと、理解出来ないと思う。

そしてある時、頭を殴られた時に内出血して、その血液が下がり、まぶたが紫色に変色した時に、眼帯をして学校に行ったことがある。その時、担任ではない国語の先生が、結膜炎の心配をして 私に声を掛けた。けれど、あの時、先生に気付いて欲しかったな~、って思う。

でも、大親友も、仲の良い友だちや先生も たくさんいて、勉強もそれなりに頑張って…。小学5~6年生時代の勉強が全然できていなくても、良い指導者(塾講師)に出会うと、それなりに追いつくし、成果も上がることにビックリ!

でも 中学校の社会と理科の学校の授業は 完全に崩壊していて、そして、塾での勉強は、英・数・国の3教科だけ。望む高校ではなく、別にご縁のあった高校へ進学することになる。

高校時代

自分的にも、そして塾の先生や、私の成績を知っている親友も、私が ”絶対に志望校に合格” すると信じて太鼓判も押されていたので、実はものすごくショック…。家庭内には、シラ~ッとした空気が流れているし、父は「私が高校に落ちたせいで、Kちゃん(父の友人)が遊びに来なくなった」と文句を言うし…。そういえば、Kちゃんの娘は、私が落ちた志望校に受かったけれど、そのKちゃんという人は、受験勉強中も毎晩、私の家に晩酌に来ており、父の就寝後もずっとうちに居座って飲んでおり、私はその人が嫌いだった。

そして、いわゆる ”高校デビュー” し…、1年生の初夏頃から秋頃までプチ非行に走る。

が…、たまたま、お付き合いする人(1歳年上で、他学校の不良じゃない生徒)が表れたこともあり、プチ非行終了~。

同時期に原チャ免許を取り、初めてのプチツーリング中、人気のない山の中腹で、猫との出逢いもある…。当時、珍しいアメショのミックスのコらしく、全身白銀色のキレイな男の子で、なんと、母は捨ててこなかった!(母よ、見た目が良ければいいのか?!)

そして、そのお付き合いした人は、私が滑り止めに受けた、もうひとつの高校に通っていたけれど、それに対して、本人も親御さんも何も気にしていない様子。え…? 偏差値、低くてもいいの?!   当時の私にはそれが信じられなかった。(←今では、そう思っていた過去の自分が信じられない、と思うよ…)

しかも、そんな息子のことを親御さんは 120%信頼していて、学校で禁止されている「単車」を買ってあげているし、それに乗ることも許している。

それから、私のことも信頼してくださり、家族のドライブ、BBQ、スキーにも、必ず 一緒に連れて行ってくださり、自分の息子や娘(彼のお姉さん)と分け隔てなく接してくださっていた。

こちらの家庭で、私が自分の家では得られなかった10年分の「安心出来る居場所」をくださり、ありのままの私を認めてくださり、それによって、カラカラに乾いていた私の心が潤ったように思う。本当に感謝。

望まない進路

私は漠然と、英語か美術系に進みたいと思っていた。けれど、そのためにはどうするかを考える暇なく、高1の進路面談では、父の意向を受けて、母がそれを担任に伝え、担任もそれに乗り、「看護系」に進むために、2年生から理数系クラスとなる。

数学は、高1からは全然ついていけてなく、化学もチンプンカンプン。化学式、ほとんど覚えてないし…。予備校に行く訳でもなく、普段の勉強も受験勉強も全くしないまま(授業は睡眠を取るための時間だった)、そして、正看護師の学校を受験することもなく、准看護師の学校を受験し、そのまま進学。同時に病院に就職する。

そして、正看ではない “准看護師” という負い目を感じながらも、やるべきことはきっちりとやり、そして現代医療にかなり疑問を持ちながら医療機関で働く。でも結局、収入のために ナースの仕事はそのまま続けてしまう。

やりたいこと探し

准看護師の資格を取った後には、自分の本当にやりたいこと探しが始まる。

最初は、編み物の学校のヴォーグ学園に入学。そして このときは貯蓄もあり、実家を離れ、一人暮らしを始める。

けれど、その直後に 妊娠や結婚や出産があり、そうこうしているうちに、自分癒しも始まって…。

かなり端折ってしまうが、自分癒しが進んでいった時、興味を持っていたのは心理学。そして私が選んだ道は、大学への進学だった。

大学入学から卒業まで

そのとき30代になっていて、小学生の子どももいるし、仕事もするシングルマザーだし、勉強についていけるか、卒業出来るか 全く 解らなかったけれど、趣味だと思って大学の通信課程に入学する。

そして、最初の年のスクーリングがとても面白く(講師が活き活きしていた!)て、卒業を決意。その途中「通年生」として、一般の通学生と同じ授業にも出席する機会も、一年間得られた。

そして、6年間集中して、ほとんどの単位を取得、2泊3日の軽井沢卒業セミナーの単位も取得。しかし、残り2科目4単位を、3年間ほど保留にしてしまう。

当時は、娘の学費、塾費、予備校費、それから引っ越し費用などの捻出のために、ナースの仕事に専念したい時期でもあった。

そして保留した科目は、確か「発達教育論」「保育過程論」的ネーミングの2教科だったが、「テキスト科目」だったため、担当の先生に直接話しを聞けないし(手紙ならたぶん可も、私は極度の筆無精なので、ムリだった。)、テキストも読まずに放置。

でも、いよいよ「このままでは卒業できないぞ!」と焦った時に、どうにかテキストを読み進める。そして公園に行って、親子の遊ぶ様子を観察したり、近所の区立幼稚園の園長さんにインタビューしたりして、無理やりリポートにまとめ、試験を受けて残りの単位を取得…。

しかし「卒業願い」の提出をすっかり忘れたため、卒業年月日は、その半年後。卒業式に至っては、更にその半年後の3月となった。

ここまで費やした月日はおよそ11年…、娘はすでに大学に入学していました。

大学で学んだことは、創設者 成瀬仁蔵先生からの大きな愛と、心理学、子ども学、そして、地球愛学…、だったでしょうか…..?  ここで学んで、本当によかったと思います。

想定外の立ち退き

大学を卒業したのは、”引越し” をした後だった。引越し費用捻出のために、クレジットカードから借入れがあったため、大学卒業後もその返済のためにナースの仕事をフルタイムで続けていた。

そして、その引越しは想定外。実はそれまでは区が関係する集合住宅に住んでいたが、区の都合で、急に立ち退きを迫られることになる。代わりの物件を紹介されたが、娘が高校に通うための駅から、ひどく遠くなってしまうし、もしその物件も、同じように立ち退きを迫られたら…と考えてしまい、区のことや、担当職員のことを全く信頼出来ない、ということもあり、民間の住まいを探した。

それと、ホントのこと言うと、内緒で飼っていた猫さんの存在もあり、どうせなら、ペット可の 信頼出来る確かな場所へ引っ越ししたかった。しかし、不動産をまわってみると、2頭の猫がいるシングルマザーが部屋を借りるのは大変だということが身にしみた。

生きる希望を失いかけながらも、ある不動産へ飛び込んみ、そして私が自分の情報を記入し終わると、若い担当の方は、「ここ以外に在りません」と、誰にでも紹介は出来ない、という物件をすぐに紹介してくださる。その担当者の方も、かつて済んでいた集合住宅であった。

「???」…。広さ、家賃、日当り…、全て整っていて、訳あり物件かと思ったほど…。しかもその部屋はリフォームしてから、途中で希望者がいたものの、管理人さんからお断りされ、2年近くも誰にも貸さなかったお部屋だ、という。

何だかわからないけれど、そこの管理人さん(現在75才くらい)が求めている理想の人物像に、私が近かったらしい。その気難しいという管理人さんとは6年以上のお付き合いになるが、途中でお家賃を半月待ってもらったり、1週間待ってもらったり。会うと楽しくおしゃべりしたり、たまにハグしたり…。

そして、こちらの物件との出逢いは、

ある晩、夜空に向かって『みんなで 安心して住める部屋が見つかること』を願っている最中に、流れ星がすーっと流れた、その少し後のことだった。

思考の大きな変化

そして、その頃までの私は、ユング的思想の「原因があって 結果がある」の考えを採用しており、そして、未来を心配しながら生きるという毎日を過ごしていた…。いつでも心配。何かあれば「何が原因だったんだろう?」という反省、そして いつも思考でいっぱい…!

でもあるとき、mixiのラファエル・ワークスさんの言葉と出逢う。

全てはシナリオ通り? 予め、ストーリーの決まっているドラマを再現しているだけ?

「覚醒」が進むと、本当の自分は本来の居場所にいて、ただ再生されている自分の人生のビデオを鑑賞しているだけ?!

まさかと思いつつ、実験してみた結果、ホントかも!…、と思えるようになる。思考は後付け。私たちは 思考より先に、身体が動くし、勝手にしゃべっている。

本当にシナリオ通り?  ~猫さんの死をきっかけに~

そして、16年間ほど 苦楽を共にした、20歳の愛猫が虹を渡る日が近づいて来て、そのときも、全てはシナリオ通りなのかを実験してみた。

すると、ある朝、”明日から1週間休みたい” という思いにかられた。出勤し、それを上司に伝えると、そのまま許可された。5日間ほど、寝たきりに近い猫さんを胸に抱っこして過ごす。

そして 週末に泊まりに来た娘。久しぶりに、シングルベッドを2台くっつけて、3人(この数字の中に猫含む)で眠る。早朝、目覚めて、すぐに猫さんへの点滴の準備。

普段、あまり早起きしない娘もいつの間にか目覚めている。

すると間もなく、娘による猫さんの異変の気づきがある。すぐに猫さんの近くにかけよると、嘔吐があって…、私がタオルを取っている間に、娘が再び異変に気付いて…。魂が口から抜け出るときに、嘔吐したのだということに気付く。猫さんにお礼を言って、そのまま 猫さんを抱っこして、娘と屋上まであがる。毎朝、猫さんと朝日を浴びに行っていた、屋上への最後のお散歩となる。その時、撮った空の写真には、うっすらした雲が、優しい猫さんの顔に映っていた。

そして、セレモニー会場をネットで調べ、翌日に行くこととなるが、日曜日だったため、娘も、娘の彼氏も同席できた。そして、この日曜日が、私が 休みを希望した1週間の最終日だったが、翌日は、普段なら出勤する曜日なはずのに、なぜか予め、用もないのに休みを取っていた。だから月曜日は、一人でのんびりと、猫さんが虹の橋へ行ってしまった悲しみを味わい、翌火曜日には、何も引きずらずに出勤できた。

最後まで猫さんを見守るのが私のかつてからの願いであり、娘も恐らく同様で、娘にとっても、母親のようカウンセラーのような、かけがえのない存在の猫さんだった。だから、その猫さんの最後をみんなで過ごせて、すべてパーフェクトで、とっても良かった…、という体験をし、人生は、深呼吸してシンプルに生きるのが良い..、ということを猫さんに教えてもらうこととなる。

更なる学び ~自分をより深く知る~

でも、この時点では学び足りない点が多々あって、ナースとして働く現場の目の前の人を通して、私自身がどういう人間であり、そして、どれほど傲慢な人間であったのか…?、を徹底的に見せつけられる時期が続く。この傲慢な自分に気付くことが非常に大切なことで、それに気付かないと視えないものがたくさんある、ということを知る。

そのためには、自分の人生を全託することが大切…。ある意味、諦めると言うか、開き直ることの大切さも知ることとなる。

大きな統合  ~セラピストとして生きる決心~

「全託」「シナリオ通り」を学んだ後に、私はアドラー心理学に出逢う。

おおっ、これ良いね!

そして、この頃に、インナーボイスセラピーの認定セラピストとなる。また、20年間取り組み、絶対にムリ!…と、諦めていたトラウマ(父からの暴力)が静かにあっけなく癒される。

そして、その自分の体験を気に、”機能不全家庭に育つ” という、大変貴重な体験を持っている 私ならではの心理セラピスト として生きる決心をする。

がしかし…、

自分が深いトラウマを癒しつづけて来て、そして、自分がセラピストとしてお客さまと向き合うときに、アドラー心理学では難しい部分があることに気付く。

(*でも、私が知るアドラー心理学は、ごく浅い部分であると思うため、今後、私のこの部分の解釈は変化する可能性あります)

そして、実は、トラウマって非常に奥が深い。そして段階(ステージ)的なものがある、と私は思う。

(*このページでは、トラウマは「機能不全家庭」に育つことによって発生してきたものを指すこととします。)

あまり知られていないかも…しれないが、機能不全家庭で育つことによって受けたトラウマは、大変複雑で大変深刻…。「脳の萎縮」という、気質的な弊害が幼少期から出現することがあるし、脳内の化学物質(セレトニンやオキシトシン等々)の分泌量にも異常をきたすこともある。このような状態の場合、アドラー心理学とは、少々切り離して考える必要があり、別の観点からのアプローチが必要になってくる。

そして、ある程度まで回復して来た時に、「いいとこ取り」でアドラー心理学を使って行くのが良い、というのが私の解釈である。

そして現在、

・トラウマ理論とトラウマの癒し

・全託・シナリオ通り

・20年の自分の癒し体験

・西尾和美先生の様々なワーク

・インナーボイスセラピー

・ヒーリング

・アドラー心理学等々…

これらを融合させ、且つお客さまの心にとって、最善をセレクトしつづけながら、セラピーを行なっている。

長々と書き連ねましたが、

この辺までが私の一通りのプロフィールとなります。

エピソードは まだたくさんあり、

すでにブログのどこかに書いてあるかもしれないし、

これからも書いていくかと思いますが、

なんとなく、私がどんな人か、感じていただけたでしょうか? ^ ^

この星で巡り逢うことは、

きっと生まれる前からの約束で、

シナリオ通りであると感じています。

これを読んでくださっているあなたに、

いつかどこかで巡り逢う日を、

心より楽しみにしております。

ありがとうございました。

 

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